PAJメールマガジン

第6号 2010年11月1日発行

日本パラリンピアンズ協会 理事 永瀬充

(長野・ソルトレイクシティ・トリノ・バンクーバー/アイススレッジホッケー)

 

みなさん、こんにちは。PAJ理事の永瀬充です。

 

私はアイススレッジホッケーのゴールキーパーとして1998年の
長野大会から4大会出場し、今年行われたバンクーバー大会では
悲願のメダルを獲得することができました。

 

日本でアイススレッジホッケーが始まったのが1994年。16年かけて
初のメダルとなりました。メダルは出場した選手15人しか
手にすることができませんが、これまでアイススレッジホッケーに
関わったすべての人たちでつかんだ、日本の歴史が勝ち取った
メダルだと思っています。

 

さて今日は、次世代育成に対するパラリンピアンの役割を考えて
みたいと思います。

 

日本の障害者スポーツの普及は一部特別支援学校などで行われて
いるものの、障害のある子供たちへの普及は欧米に比べ大きな
遅れをとっています。

 

日本は成人期や10代後半での怪我や病気をきっかけに障害者
スポーツを始める人が多く、パラリンピックに出場する選手の
多くも20代~30代が大半を占めています。私もその一人ですし、
年を重ねても現役を続けていけることは素晴らしいことだと
思っています。

 

しかし、最近の海外、特にアメリカやカナダでは20歳前後の若い
選手が中心となっていて、それらの選手たちはオリンピックと同様に
小さいころからスポーツを始め、パラリンピックに出場することを
夢見て多くの選手たちの中から勝ち上がったアスリートたちです。

 

バンクーバー大会での象徴的な試合が、私たちのアイススレッジホッケー
決勝戦でした。日本対アメリカ、平均年齢は日本が出場国中最年長の
36歳、アメリカが最年少の23歳でした。数年前に世界選手権で
アメリカに行ったときに、長野大会で対戦し既に引退した選手たちと
会って話をする機会がありました。「今の代表チームの誰と誰は
自分が育てた子供たちだ」と、何人もが話していました。

 

長野パラリンピックの後に全米各地で子供たちへ普及し、その結果が
約10年たって出てきたのです。私も10年前にアメリカで小学生や
幼稚園くらいの子供たちと一緒にホッケーをしたことがあります。
もしかしたら、その中の一人が代表チームに入っているのかも
しれません。長野大会では日本はアメリカを倒すことができましたが、
バンクーバーでは完敗でした。

 

日本では、一部の競技では引退した選手たちが子供たちへスポーツの
普及に取り組んでいますが、日本全体として見たときにはまだまだと
言ったところです。競技団体やスポーツセンターなどが中心となって
体験教室を開くこともありますが、都市部や一部の地域に限られています。

 

私は北海道の旭川市に住んでいますが、北海道で合宿や大会が開催される
ことは少なく、身近に見ることができません。先日、ある地方の方が
「パラリンピック選手を招いて体験会をしたいがつながりがない」
と話していました。

私たちパラリンピアンは多くの人たちとのつながりや機会に恵まれ、
パラリンピックに出場することができました。しかし、そういった
チャンスに巡り会うことができない若者や日本にとっての可能性が
まだまだ残っているのではないでしょうか。そういった可能性の芽を
育てていくことが、これまで受けてきた応援や支えに感謝し返して
いくことだと思います。

 

パラリンピアンは全国各地に散らばっていますが、これから更に
競技を越え、世代を越え、地域を越え、パラリンピアン同士が
つながり、パラリンピックの素晴らしさを伝え、次世代を育てて
いくため一つになって頑張っていきましょう。

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