PAJメールマガジン

第19号 2011年5月15日発行

多くの仲間の集う場PAJ

日本パラリンピアンズ協会 理事 福留史朗
(シドニー・アテネ/陸上競技)

 

 会員の皆さんこんにちは、理事の福留史朗です。

 

 「東日本大震災により彼災された障害者スポーツ関係者に対する義援金ご協力について」(ご依頼)文が遅ればせながら日本障害者スポーツ協会長名で4月28日付けで各都道府県政令指定都市スポーツ協会、指導者協議会、競技団体、協賛企業へ出されました。いち早く支援を打ち出した日本体育協会と比べると時間が少々かかり過ぎたように思います。私は日本障害者スポーツ協会を動かすきっかけとなったのはパラリンピアンの被災地支援の熱い気持ちが表れた、義援金呼びかけ、炊き出しなどの支援行動ではなかったかと思っています。

 

 さて、会員の皆さんはパラリンピック正式競技に「ボッチャ」という競技があることをご存じでしょうか。ボッチャ競技は、どれだけ多くのボールをジャックボールに近づけられるかを競う競技で、ヨーロッパで生まれた競技です。パラでは1992年バルセロナ大会から正式種目となり、パラでは最重度障がい者種目で脳性麻痺者が自分の身体の使える部位を最大限に生かして投球する競技です。日本では2008年北京パラに初めて選手団を派遣しました。我が県(鳥取県)ではスポーツ振興事業としてパラ出場選手を講師に招いた研修会を年3回開催しています。本年度も第1回研修会を4月17日にボッチャ競技北京パラ代表、内田選手、出本コーチを招いて開催しました。重度麻痺者の内田選手の投球フォームは多くの選手がボールのコントロールがしやすい下投げではなくコントロールが難しいと言われる上投げでした。なぜ上投げなのか、それは内田選手の身体機能では下手投げが不可能なためでした。しかし、内田選手は投球フォームのハンデを自らの努力で克服し北京パラでは5位入賞を果たしています。研修会にも指先が動くだけの県内重度麻痺選手も家族と一緒にランプ・u档X(ボールを転げ落とす台)を使い参加していました。内田選手は私に「競技でなくリハビリとして見られるのが残念」と話してくれました。PAJは多様な障がいを持っ選手の集まりですが重度障がい選手が少ないことは事実です。ロンドンパラでは知的障がい選手の出場も認められています。日本の障がい者スポーツ、PAJの活動をより発展させるには重度障がい、知的障がい選手も同じパラリンピアンの仲間としてPAJ活動を共に進めて行くことが大切ではと考えます。多様な障がいを持つパラリンピアンがより強い仲間意識を持つことで大きな力が生まれ社会を動かすことになるのではないでしょうか。PAJが全ての競技種目のパラリンピアンの「集う場」となるよう一層の努力が必要な事を改めて考えさせられた内田選手との出会いでした。

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≪事務局より≫
◎東日本大震災に関する新聞記事
5/3産経新聞
「被災地の子供の心のケアに動く パラリンピック代表・佐藤真海さん」
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110502/oth11050221570017-n1.htm
 
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